原爆の真実
随分前に、何かで見た、ぼーっと見ていたので多分TV番組だったと思う。
広島出身の京都大学の生徒が、先生から、広島に原爆が落とされるから、家族を疎開させなさいと言われたという。そこに、湯川秀樹もいたと。
湯川秀樹は、1937年に、中間子の存在を予見し1947年にノーベル賞を受賞している。WIKI
世界的な学者なのだから、当然、米国で核開発に関わった物理学者たちから個人的に情報をえていても不思議はない。そう思っていた。
そこへ、先日、原爆投下に関して詳細に分析されているコンテンツを読んだ。
アメリカの原爆計画と原爆ホロコーストの実態
原爆投下は人体実験だった
日本は、原爆投下前に、ソ連に終戦の仲介を依頼していた
それを知っていて、アメリカは原爆を投下した
という内容だった。そして、思い出した湯川秀樹への疑問。
調べると、”長周新聞”が、体験談や手記をまとめている記事に、湯川秀樹のくだりがあった。まさにそれだった。
1945年5月には、湯川秀樹は原爆投下を知っていた
湯川秀樹同席のもと、京都大学工学部教授から、広島出身の生徒に、家族を広島から疎開するように伝えられたという。そして、その時の言葉が、「第一回現地テストが広島である。。」
広島は、現地テスト、人体実験だったとここでも書かれている。
大本営、天皇は、原爆投下を知っていた
すでに8月3日には大本営から「8月4日から7日にかけて、アメリカ空軍の特殊攻撃がある。十分注意を怠らず。対戦処置をとるべし」という暗号電報が広島の各部隊に入っていた。
しかし、市民には知らされることはなかった。
一部の軍人や米軍の中には非戦闘員を逃がそうとする人もいた
米軍によるサイパンからの日本向けラジオで、原爆投下されるので、非戦闘員は逃げるようにとの放送があったという。
陸軍通信隊の兵士から、同様の情報をえて、逃げなさいといわれたという人の手記がある。
総司令部は、原爆投下機を把握していた
総軍司令部は広島、長崎に向かうB29原爆投下機の動向については当日も、レーダーや無線ではっきりととらえ追跡していた。しかし、照準は合わせながら、撃墜の命令がなかったとある。
大本営が原爆投下を許した理由
著者の見解として、天皇陛下の命と原爆被害者総数50万人の命が引き換えだったという。天皇の命を助けたかったら、原爆実験をさせろという事だった。第二次世界大戦は、大量虐殺、ジェノサイドと言われる市民虐殺は、アメリカによる長崎、広島、それに東京大空襲までもが、悪名高きナチスによるユダヤ人大虐殺、ホロコーストに匹敵するといわれている。日本大本営はというと、これらの犠牲を許したのに加え、特攻隊、人間魚雷といった残虐非道な戦略のうえ、殆どの兵士の死因が、戦闘によるものではなく、餓死であったという。
そして、著者はこう書いている。
諸外国と比べて「日本国内では政治家や官僚、高級軍人の多くが生き残った」という第2次世界大戦の異様さ
今、侵攻している戦闘を見ていても、優勢なロシアは志気が高く、高官の子息が戦死したという話や、高官自ら出兵している情報が入ってくる一方で、劣勢側は、高官は、海外で徴兵年齢の息子と家族で高級ホテルでバカンスさながらの様子が映像に写されているのを見た。それに当てはめると、日本は、負けるべくして負けたのだろう。
第二次世界大戦における、日本のアジア諸国への加害も含めて、真実を詳細に調査し、知る権利が国民にはある。
一方で著者は、異なった分析をしている。此の上層部が生き残った理由は、アメリカが戦後、日本を植民地化するため、意図したこととある。戦犯として利用するために生かしたのだと。
真偽のほどはわからないが、そのアメリカの願いは叶い、岸信介が、自己の命と引き換えにアメリカの手足となり、兄弟である佐藤栄作と共に、日米安保を通過させ、日本中に米軍基地を置くことで、防衛において日本の米軍依存に成功し、小泉政権で経済までも売り渡し、完全植民地化することに成功したのである。
今、日本の政治家の中でどれほど侍がいるだろうか?
侍はどこに行ったのだろうか?利権があるところに群がる裏切り者たちに見えるのは、勘違いですか?
国民が、少しづつでも過去の事実を知ることが、平和への、本来の日本を取り戻す道になると信じている。
戦後の天皇陛下の原爆への言葉
多くの犠牲のもとに守られた天皇陛下の会見の様子がここにある。