幼稚園バス置き去りから見るプロ意識の欠落

痛ましい事故がおきた。幼稚園バスに幼児が置き去りにされ、熱中症で亡くなったのだ。昨年、福岡でも同じ事故が起きたという。なぜ、その時に対策が施されなかったのか。

バス置き去り防御システム*アメリカ

スクールバスが多く使われるアメリカでは、バスが到着して運転手がエンジンキーを抜くと、その瞬間、バス内にアラームが鳴る。このアラームを消すためには、運転手がバス内の最後部にあるリセットボタンを解除する必要があるという。この記事より。後方にボタンを押しに行くときに置き去りの園児に気づくだろうということのようだ。

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韓国での対策

アメリカと似ていますが、エンジンを切って3分以内にバス後部のボタンを押さないとブザーが鳴るというもの。そして、これは、2018年に、法制化されたそうです。

日本で称賛された園児のクラクション訓練

事故があり真っ先にニュースになったのが、園児がクラクションを鳴らす訓練を園でなされたというもの。
これについて、様々な意見が交わされた。個人的には、違和感。園がすべきは、上記、二点のような園ができうる限りのヒューマンエラーを防ぐための対策。できうる限りの対策がなされたうえでの園児自身の万が一の対策ならばいいのだが、真っ先にこれをやり、ご父兄の称賛とな?なぜ?知的障碍者の被害もあるようだ。彼らにクラクションの訓練は可能なのだろうか。子供にも、個人差がある。子供に自己救済を求めるのは酷ではないか?

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日本が一流国から三流国に転落した要因

極論に見えるかもしれない。しかし、この議論の中で気づいたのが、責任感やプロ意識を理解し、自分にも、相手にもプロを求める人がすくなっているという事だった。大人のミスを、まだ年端の行かない子供に、責任または自分の命の救済を背負わせることになるのだ。大げさに聞こえるかもしれないが、絶対的に大人が子供を守る意識が欠けていることに、少々驚いてしまった。それも、園児のご父兄らしい方々の意見なのだ。

バブルが弾け、理由がわからないまま不景気に突入し、浮上することなく三流国になってしまった。実は、転落理由は、一つではない。アメリカの仕掛けによる円高から一気に円安になってしまった。円高の時に、外資金融機関にそそのかされ、慣れない海外大企業を高値で買収した企業は少なくなかった。そして、不況になり、その買収した企業を手放すことになったが、大赤字を抱えることになったのだ。
しかし、それだけなら、そろそろ浮上してもいい筈だが、そこは、経済対策を国が打てないようにアメリカによる抑え込みが続いている。そして、アメリカと交渉できるプロの政治家がここにもいない。この詳細はここに。。

そして、更に大きな要因に、日本人の資質が変わってしまったということにある。責任感や、プロ意識が欠落してしまった人が増えたのだ。テレビを見ていればわかる。専門家と言われる人たちが、専門的知識がないまま都合にいい話を繰り広げている。それだけなら、まだいい。しかし、それを称賛する人が少なからずいることに問題がある。国は、日本の大学の研究機関及び研究者を縮小、排除しようとしてきた。例えば、世界的権威であった京都大学霊長類研究所は閉鎖された。真の知識人を排除してきているのだ。そういう人たちは、今、中国やアメリカに渡っている人も少なくない。これは、アメリカの指示なのか、日本独自の政策なのかはわからない。そして、専門家を名乗るが知識や能力に疑問が残る人たちを積極的に起用してきているのだ、

バブルが弾けた時、大企業に在籍していた。滅多に会うことのない経営陣の一人である副社長が、事業所にやってきた。講堂に社員は集められた。仕事を途中で中断されて、快く思わない顔がそこにあった。間もなく、壇上に副社長が上がった。研修中に一度会ったことがあった。営業畑出身の関西弁でしゃべる面白い人だった。マイクを持ち話し始めた。
「この経営不振は、経営陣の責任。申し訳ない。どうぞ、こらえてください。」と、頭を下げたのだ。国全体が不況なのだ。うちの会社のみならず。どこの会社も、業績が奈落の底に転落していた。しかし、彼は、謝罪した。自分たちの責任だと。彼は、各事業所を回っているといっていた。副社長は、それを言うとすぐに退席した。出口に向かう社員の目には光るものがあった。今では、信じられないかもしれないが、こういう人が残っていた。勿論、当時はすでに、殆どが、保身第一の無責任な経営者たち。しかし、この”責任”というものが、如何に大事かということなのだ。これが、プロを育てたのだ。経営者は、社員や社会に責任を負っていた。社員である私も、自分の仕事への責任を感じていた。しかし、先人たちよりも、私の時代には高学歴化し、勝者であることが、責任に勝っている人が多くなっていた。成果を出す責任感よりも、勝者になるべく他者の成果を横取りすることに、悪びれることがなくなっていた。

子供は大人が守りましょう

今回の幼稚園の問題がきっかけで、日本は、責任の所在を曖昧にする社会になってしまったのだと気づいた。
それゆえ、言葉のまやかしを受け入れてしまうのだ。政治家が何をしても許されるのは、彼らにプロを求めていないからに他ならない。テレビコメンテイターも同じ。プロがいない。
日本が浮上するには、一人一人が責任の所在を明確にする意識を持つことが求められているように思う。

幼稚園バスの事故での責任の明確化

まずは、韓国のように、国が法制化し、置き去りのないシステムを構築する必要がある。上記、アメリカや韓国のシステムは有効だろう。ただ、従来のバスでは、死角が生じる。なぜ、上の写真のような通勤電車のように車両の壁に背を向け向かい合わせで二列に座らせないのだろう。それならば、死角はなくなる。子供が座席下にもぐるのであれば、下にカバーを取りつつけることができるかもしれない。座席数が確保できないのが理由だろうか。ただ、大人ができることはまだあるはず。子供に、クラクションを鳴らす訓練をさせる前に、知恵を絞るべきではないだろうか。園児の訓練は最後にして。責任を子供に負わせるべきではない。
随分前になるが、オランダの例を挙げておく。オランダは、学校までは親の責任、学校では学校の責任と明確化しているという。当然なのだが、日本はそうではない。いじめの問題が起きても、学校は責任を逃れるべく、逃げ回る。海外では、いじめの対策を明確化している国も少なくない。韓国では、いじめた生徒が転校させられる。日本は、いじめられたものも悪いという風潮がある。そして、オランダでは、子供だけでもいいし、親が学校まで送っても構わない。その代わり、学校に責任はない。日本は、通園バスに乗せてもなお、全面的に園の責任を求めることはない。次、このままで、同じことが起こった場合、園児の教育の徹底も項目に挙げられるだろう。大人が、子供の命を守りませんか?

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