ギフテッド教育から考えること

ギフテッド教育のイメージ

ギフテッドとは、平均よりも顕著に能力の高い人のこと。

ギフテッド教育と聞けば、能力の高い人の能力をさらに伸ばす教育

天才の能力を引き出す教育と勘違いされがち。

実際に、レディーガガや、フェイスブックのザッカーバーグが、この教育を受けています。

特に、日本では、highIQ=天才とは言いすぎですが、頭がいいとか、そんな短絡的な結論に達しています。

先生から聞いたギフテッドの同級生

高校1年生の時、授業中に、先生が同級生の話を始めました。

「すごい頭のいい奴がおって、数学のテスト採点するとき、先生は、自分の解答より、そいつの解答を模範としてほかの生徒の採点してたんや。何時も、解答が完璧やったんや。ほんで、そいつがどれだけすごいか、テストしたんや。休憩時間にな、百科事典もってきて、10分くらい見せた後、質問するやろ、何ページのどこに何が書いてあったか全部正確に答えとったわ。その記憶力は想像以上やった。そいつの受験勉強は、部活の帰りに本屋で立ち読み、それだけ、それで、現役で東大医学部はいってん。それが、入って間もなく自殺したんや。」

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以下に、ポーター倫子氏(ワシントン州立大学人間発達学科専任教員)の論文の転載です。

ギフテッド教育(Gifted Education)とは、平均よりも顕著に高い能力を持っている人のための教育である。英才教育の一種であるが、先取り学習により他の人よりも高い学力を身につけようとする早期教育とは異なる。ギフテッドの子どもたちの高知能、高能力に伴う様々な精神・社会面での問題ゆえに、通常のクラスでは学業の成績が伸びなかったり、登校拒否なども見られることから、アメリカにおいては、障害児教育と並ぶ特別支援の教育施策として捉えられている。

ポーター倫子(ワシントン州立大学人間発達学科専任教員)

by child research net アメリカのギフテッド教育事情 – 論文・レポート (crn.or.jp

ギフテッド学習者と優秀な子供の違い

優秀な子ども(bright child)ギフテッド学習者 (gifted learner)
一生懸命努力する遊び半分でやってみるがテストの成績は良い
学校が好き学ぶことが好き
友達といることを好む大人といる方を好む
いい考えを持っている常識外れた考えを持つ
単純で順序立てたやり方を好む複雑さを求める
自己の学習成果に満足している自己を厳しく非難する
課題を6-8回で修得する課題を1-2回で修得する
グループの中でトップの成績を修めるグループの成績を超越していて、あてはまらない

年齢でクラスが決まる不公平

私自身が、ギフテッド教育を受ける資格があったのかどうかはわかりませんが、この表に当てはまる部分が多く、IQも高かったようです。

その当時、授業について、マイノリティーへの差別のようなものを感じていました。そこに、優越感などありません。

一度説明を聞けば、理解でき、覚えてしまいます。家に帰って、復習しようにも、すべて覚えていてすることがありません。

先生は、いくら成績が良くても、勉強をしていないことがわかっていました。

勉強しろとは言われましたが、”何したらいいんですか?”と言えば、黙ってしまいましたが、兎に角、高い目標を持って、自分で勉強してほしかったようです。歯がゆかったのでしょう。

そんな時、偏差値教育による競争を疑うことなくモチベーションにしている同級生たちを、羨ましく思う事がありました。というのは、その頃、孤独感や焦燥感、虚無感に付きまとわれ、何より、先生の友人が自死された結末に、すっと、理解できた自分がいました。

生きることの意味ばかり考えていたように記憶しています。

そこに、勉強するモチベーションなどありませんでした。

それが、このポータ倫子氏の”特別支援の教育施策の視点でのギフテッド教育”が私の視点と一致しました。

特別支援というのが、身体的、知能においての障がい者のものと考えがちですが、精神的バランスを欠いていたのは、マイノリティーであることによるものなのか、生来的なものかはわかりませんが、助けを欲していたのは、事実です。

天才と言われるひとも、能の使い方の違いだけの場合も、安易な言葉でいうところの”天才”ともいえる先生の同級生の記憶力です。

例えば、チンパンジーの子供の瞬間記憶力というのは大人の人間のものより高いことが、京都大学霊長類研究所の研究報告に記載されています。

瞬間記憶と言語の発達 | 日経新聞連載・松沢哲郎「チンパンジーと博士の知の探検」 | 京都大学霊長類研究所 – チンパンジーアイ (kyoto-u.ac.jp)

ここに示されているのは、人の瞬間記憶は、単に退化したのだと示されています。

先生の同級生は、記憶力以外の能力も高かったので、類まれなるギフテッドだったのだと思います。

しかし、この記憶力だけを取ってみると、瞬間記憶が高く、天才と言われる人たちがいますが、これは、退化の結果と言わないまでも、多様性の一部ではないかと思われます。

偏差値教育による受験戦争で人の能力は伸ばせるのか

今、偏差値教育による競争の結果、どうなっているか。

飽くまでも、企業の研究所勤務での経験による私見です。

同僚たちの殆どが、競争の勝利者でした。一流大学大学院卒、更に、博士といった人たちでした。意外だったのが、博士号取得者たちです。彼らの、創造力が、平均的な人よりも低いのです。そして、論理的思考力もしかりでした。

競争の勝者になることをモチベーションにしていた彼らの中には、倫理よりも、勝利者になることを優先し、人の成果を搾取することにためらわないものも、少なくありませんでした。

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成果を出せる人とは

成果を出している人ほど、大学の偏差値に関係なく、探求心や好奇心が強かった記憶があります。

研究が面白いと思えるかどうかが、とても重要に見えました。

本田宗一郎も、同じ視点を持っておられました。

面白いと思えば、それを知り、探求するために必要な能力は、学びの原動力になります。

そこに、生来の能力が、然程、重要ではないのではないと思われます。

自称、ギフテッドであるというタレントを見ていれば自明でしょう。

受験戦争で得られる能力は、顕著なものとして、創造力よりも、システムへの

適応能力ではないでしょうか。

今の日本社会への適応性しかりです。

寧ろ、創造力が退化しているように見受けられました。

生物にとって、必要のない能力は、退化していきます。

この場合は、それが、創造力です。

人によっては、論理力も必要ないものと判断されているようです。

戦後の日本の推移から見た、必要な教育とは

日本は、戦後、世界一の技術大国になったことがあります。

十分な教育が受けられなかった人々の中に、小学校中学校程度の教育で、世界有数の大企業を

創り上げた人物がいます。

松下幸之助、本田宗一郎 (本田宗一郎(HONDA創業者))です。

企業内も、研究所でも、一部論文博士はいたようですが、大卒が中心で中には高卒の研究者もいました。

その後、世界の教育レベルは上がり、日本もそれに続きました。

研究所には、大学院以上、博士など、大卒ですら少数派になっていきました。

結果は御覧の通りです。

過去の栄光は見る影もなく消え、衰退していきました。

偶然時期が重なったのかもしれませんが、高学歴化が企業繁栄の絶対的に必要な要素ではなかったのではないでしょうか。

もしくは、教育システムが、日本人の能力の劣化を招いていたのではないでしょうか。

日本人の批判的思考力の欠如

これは、Critical thinking(データ) にも書きましたが、

日本人の論理的思考に必要な、批判的思考力が弱いために、マスコミからの情報を鵜呑みにする数値が、世界的に見ても、突出して高いのです。

これは、有識者と言われる、高学歴である方たちにもその傾向が見られます。

発信するメディア側も、同じ教育を受けています。

これは、社会全体が、間違った方向に向かっていく危険な状況も起こりうるということです。

この要因は、授業が、受動的教育にあるのではないでしょうか。

能動的授業に変わるということは、生徒が、疑問を持ち、調べ、議論するという方向に向かいます。この過程は、批判的思考が発端となっています。

教育に求めること、すべきこと

公の教育がすべきことは、とてもシンプルなものだと考えます。

好奇心を促し、その探求心を満たすことのできる環境や先生を用意すること。

詰め込み教育ではなく、興味を持ったものに徹底的に時間をかけて腑に落ちるまで調べ、自分の論理を組み立てる時間を与えることです。

少々矛盾しますが、海外では教師に修士を要求する国があります。

日本では、教科書を教える知識があれば資格ありという風潮はないでしょうか。

私は、中学二年の時に、授業とは関係のない物理現象に興味を持ち、先生に質問したことがあります。

その時の教師の答えが「高校に行ったら習う」と一蹴されました。

この時、教師は、答えを与える必要はなく、それが、高校や大学レベルの知識を必要とするものであるのなら、自ら、学ぶ方法をアドバイスするのが適切ではなかったでしょうか。

こういったアドバイスができる教師を置くことが、それほど難かしいのでしょうか。

受動的に暗記させるよりも、自分で考える時間を与えることの弊害にどんなことがあるのでしょうか。

そして、思考する時間を削減または消滅させる、偏差値教育や受験戦争をやめることに、どんな弊害があるのでしょうか


私には、教育システムとして2パターン提案します。

一つは、ロケット工学の天才に見る教育とはに記載しました。

外国とは異なり、日本では法的に認可されていませんが、ホームスクールの導入です。

ロケット工学の創始者であるC・E・ツィオルコフスキーは、難聴であったため学校に行くことができず図書館で、専門科目を独学し、ロケット工学の基礎を創り上げたようです。

二つ目は、大学のようなシステムを中学校あたりから導入することです。

教養科目で、今の、学校教育で学ぶべき必要な項目を能動的に学んだうえで、

好奇心に応じて、探求心を深める、選択科目を設けることです。

それに充てる時間を、長時間当てる必要はありません。

自由時間とし、生徒の必要なアドバイスを与えることができる先生を配置するのもいいかもしれません。

個々の進度に合わせて、課題を与えるという方法もできるでしょうし、学年を超えたクラスを置くのも可能かもしれません。

進度や好奇心の対象が、近い人が、刺激しあい、議論する機会があるのも

成長を促進するのではないでしょうか。

そして、ギフテッドに関わらず、生徒には、学校の様々な問題に対しての、

カウンセラーの必要性を強く感じます。

大抵の生徒が、好奇心を満たす過程で、今よりかは、校内の様々なトラブルを

解消できるのではないかと考えます。

現状のいじめ等の問題は、被害者の自己肯定感を下げ、能力を発揮すことへの妨げとなります。

そして、生来の精神的また発達上の問題については、多様性の範囲で、カウンセラーによる対応で可能ではないかと考えます。

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最後に、提案する教育システムのヒントになる方です。

テレビ朝日で出演されていた、仏像博士君です。

バックナンバー|サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん|テレビ朝日 (tv-asahi.co.jp)

彼は、仏像やお城の知識が深いだけではなく、研究もしているようです。

愛読書が、仏像関連図書と彼の年齢相応よりも高い読解力を必要とされます。

彼の好奇心から、想像力や論理的思考力、研究の過程では創造力も

養われていることでしょう。

今後、仏像の勉強となれば、古典や海外の書籍、文献にも触れることになるでしょう。語学教育とも結びつきます。

ご家庭でされているこの教育が、公教育に取り入れることができれば、期待される教育に近づくのだろうと思います。

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