占いを信じればよかった?
恐るべし、的中した占い師
誰かが好きな人を奪う女性
丁度この時でした。
大阪難波に”占いの館”があったのです。
中に入ると、占い師たちが、それぞれ、お客さんを前に占っています。
その中で、たった一人、お客さんがおらず、座っている方がいました。
”霊感占い”
西洋占星術や、四柱推命、筮竹やタロット、大抵は複数の占術を掲げている占い師が多い中、
この占い師はこれだけ。
色々な占いを駆使してもらう方が、説得力ある結果があるように思ったのですが、
ただ、待ちたくなかった。
この霊感占い師の前に座りました。
「ちょっと、気になる人がいるんですけど。」
というと、何やら、その世界へ入っていかれました。
そして、出た言葉が。
「この人、あんたに、好意あるけど、婚約者おるね。」
ビビりました。婚約したという噂のすぐあとだったもので。
「どう見えるんですか?」
「相手の男性、あんたの方向いてんねんけど逆さ向きやねん。ほんですぐ隣に女性が見える。」
他にも聞きましたが、ドンピシャ。
彼女の霊感の本物度に何やら、余った時間雑談へ。
霊感を研ぎ澄ますために、頻繁に韓国まで滝行等の修行に行かれるそう。
彼女の占いが残念だったのは、現時点の状況が見えるということで、
改善策などは質問してもわからないようだった。
それが、お客さんが付かない理由だったか?
”アカシックレコード”
この方の占いは、詳細に時系列が見えた。
例のごとく”相手の気持ち”
6月1日昼頃に話をした時の相手の気持ちは?
と質問できるのです。
5月1日は?と聞くと、
「相手の気持ちが出てこない。」
と言われて、よく考えると、まだ出会っていなかった。
この方は、警察に協力したこともあるとか。
事件解決への貢献は、五分五分と何と正直な。
占いに従えばよかった?
学生の頃、京都は八坂神社境内に当たる占い師がいるとの情報を、友人がキャッチ。
早速、見てもらいに行きました。
しかし、大して悩みはない。
漠然と、未来を占ってもらいました。
「将来教員がええね。それも、年齢が高ければ高い方がいいわ。」
要は、大学の教員になることを勧められました。
「あんたに合うような就職ないしな」
ともいわれました。
しかし、あまり、学問を究める気もなくここは、聞き流し。
就職は、世間的にはいいと言われる会社に就職できましたが、
おっしゃる通りの結果に。
友人とともに、恋愛や結婚に関しては、そのあと、その通りの結果になりました。
今思えば、究めればよかったと、中途半端な自分に少々後悔。
その後、就職して、仕事の人間関係に悩み、占ってもらったことがありました。
その結果は、
「絶対やめたらあかん。ここより、ええとこないよ。」
と。
結局やめてしまいましたが、今思えば、その通りでした。
占いの有効なかかわり方
探し物や人であったり、的中率を必要とする占いがあります。
一方で、”自分の潜在意識への気づき”というアドバイスを受け取る占いとの
関わり方があります。
的中率の高い占いの結果を受けて、行動に移せる人にはそれは、有効な手段となるでしょう。
しかし、私の場合、上記のように、行動への後押しとして、占いに行ったのではないのです。
何がしたかったのでしょう?
私の占いとの関わり方として、気づいたことがあります。
恋愛であれば、自分の気持ちを見てもらえばよかったと。
自分の気持ちがわからない時、相手の気持ちが気になるようです。
自分の優柔不断さが、余計に関係を不安定にさせているのかもしれません。
自分がわかれば、あとは、自分を磨いていくだけ。
其うち、振り向いてくれるでしょ?
それでもだめなら、ステップアップし、もっと素敵な人を捕まえるのみなのです。
仕事のことも同じ。
頑なに変わりたくない自分がいることに、気づいていなかったのです。
視点が変われば、環境を変えなくても、状況を変えることはできたかもしれません。
潜在的には気づいていたのかもしれません。
占いが、そこに気づかせてくれる役割をしてくれるかも。
実際には、自分で気づくのですが。
自分一人で考え込んで、堂々巡りになった時、そこから抜け出すために
自分の潜在意識にあるものに気づく必要があります。
自分がブロックしている何かがあるのです。
誰かに話をしている間に、それに気づくこともありますし、
他人に言えないことを、占いという道具を使って占い師が、引き出してくれる場合もあります。
自分でカードを引いてもいいかもしれません。
依存するのではなく、占いは、人生をポジティブに生きるための、道具。
とても精神的に抑圧され、何もかも諦めていた時に行ったニューヨーク、これは、占いに導かれたものでした。この話はここへ。
それにより、ご縁に導かれ、自分の内面深くにあるトラウマを溶解することができました。
占いを、依存するのではなく、迷った時のアドバイザーとして、自分の心に気づくための道具として
時に、ご縁の導き手として、関わるのは有意ではないでしょうか。