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共感できる天才数学者*June Huh

June Huh 1983年 アメリカ生まれの韓国系アメリカ人
     2022年 フィールズ賞(数学のノーベル賞と言われる)受賞
     現在、プリンストン大学教授(39歳)

1.数学は才能がある人だけのもの?
2.June Huhの学生時代
3.挫折の中で作り上げた彼の数学は芸術的

数学は才能がある人だけのもの?


学生時代に先生から聞いた話。
研究者のピークは、数学は20歳代、物理は30歳代、化学は40歳代と、嘘か誠か?
この話を聞いて、数学は、他の専門分野よりも、成功するには、経験よりももって生まれた才能が重要なのかと思っていました。確かに、聞こえてくる天才的数学者の話は、人生も異次元。
”群論”で有名なガロアは、女性関係のトラブルから決闘になり、その時受けた傷が原因で20歳でなくなっています。とても勿体ない最後でしたが、驚くのは、20歳までに偉業を成し遂げているということです。

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June Huhの学生時代


June Huhは、今までの、数学者とはイメージが異なりました。どこか親しみを感じ、共感を覚える彼の生き方に思わず微笑んでしまいました。
アメリカで生まれたJuneHuhは、2歳で両親とともに韓国にやってきました。(帰国?)
小学校のテストの成績が良くなかったため得意ではないと思っていたようで、数学から逃げていたような様子。学ぶことは好きだったが、学校は耐え難かったよう。自分で本や百科事典を読んだ。そして、山を探索したり。やがて、彼は詩人になることを夢見ます。そして高校を中退。しかし、挫折し、高校卒業認定試験を経て、ソウル大学へ。そこでも、科学ジャーナリストに興味を持つが、卒業に6年も費やしてしまいます。実際は、何がしたいのかわからなかったと。
そして、彼は、数学と出会います。それは、同じくフィールズ賞を受賞した数学者広中平祐 氏との出会いでした。彼は、当時、ソウル大学の教授でした。授業は、すでに確立された数学を教えるのではなく、生きた数学、教授が前日に考えていたそれが正しいかどうかわからない話をしたという。彼は、それに、虜になったものの、他の生徒の反応はと言えば、200人いた生徒が5人にまでに減ってしまっていたとか。著名な学者とは聞いていたけど、間違っているかもしれない論を話されても時間の無駄だというところか。
2009年ソウル大学修士号を取得します。それから、彼は、広中先生について日本にも留学しています。そして、アメリカ留学へ。しかし、彼の紆余曲折のある学歴から10ほどの大学から入学を拒否されます。しかし、一つの大学が受け入れてくれ、アメリカへ。2014年にミシガン大学で博士号を取得します。

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挫折の中で作り上げた彼の数学は芸術的


彼は、詩人になりたかったことについて、”詩人になりたかったのであって、詩を書きたかったのではなかった”と言っています。
また、彼の研究仲間や指導者たちは、彼の数学はとても深いものだといいます。答えが見えてきても、早急に解とするのではなく、その中にあるより深いものを見出そうとするようです。また、それは競争の中で生きてきた人とは異なるもののようです。彼の生き方からくるものなのだと。
彼は、何か目標や日程のようなものに束縛されるのも苦手だという。縛られることが苦手な自分との葛藤があったようで、結果、自分には無理という結論。彼も人の子でした。
できない自分を時に責めてしまい、自己肯定感を下げてしまうことも少なくなかった経験から、そんな自分を許していいのだと。
中には、こういうことが得意な人たちがいて、それが、高い社会適応能力として評価される今の日本。創造性を発揮するには、必ずしも、それができないことで自分を責めたり、無理に適応させる必要もないようです。できないことが、成功への鍵の場合もあるのですから。

自分の心に素直に耳を傾け、好きなことに夢中になり、時に、心が望めば納得するまでそこから距離を置く。夢中になることがなければ、自分を待つことも大事。
やはり、鍵は、好きなことに夢中になること。みたいです。
フローから考える教育  ベルトパフォーマンスの条件はいつも同じ。
June Huh, High School Dropout, Wins the Fields Medal | Quanta Magazine

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