かぐや姫は宇宙人
日本の英語教育、何が間違ってるの? の中にあるように、大学の付属の英語学校にちょっと在籍していました。受験のための英語ではなく、英語学習のモチベーションを与え、英語以外の読み書きの面白さや能力を与える授業だったのです。
スピーキングの最後の授業が、一人10分の持ち時間でのプレゼンでした。
テーマは自由で、日本をアピールすべしと、一度は、日本の美しい自然や文化を、そして二度目は日本昔話と科学についてプレゼンしました。
昔話と関わり
ある時、アメリカ人男性が、激怒していました。
彼の話では、女性は、子供のころから白馬に乗った王子様がやってくると思ってるから、
ナンタラカンタラと、自分がその王子様になりえないので、もてないことをアンデルセン
のせいにしておりました。成程。そういえば、グリム童話はちょっと、グロテスクな内容
だったり、アンデルセンとも、日本昔話は、この両方とも、ちょっと切り口が違うように
思います。
私は、就寝時に、母に読み聞かせをねだる話が、いつも、正直でいればご褒美がもらえる、
”金の斧、銀の斧”パターンの、目を開ければ、川には酒が流れ、座敷には、御馳走が並び
という話でした。三つ子の魂百までということで、今も食い意地張っております。
このテーマで、真っ先に思いだしたのが、かぐや姫と浦島太郎。
かぐや姫は宇宙人
かぐや姫(「竹取物語」)は、平安時代前期に書かれた、宇宙人、正確には月人のお話。かぐや姫は何をやらかしたのか、罰で地球に降ろされました。
ある日、おじさんが光り輝く竹を見つけました。そこには、9cmほどの可愛い女の子がいました。
おじいさん、おばあさんが大事に大事に育てました。それからというもの、おじいさんは竹の中に金を見つけるようになり、豊かになっていきました。
やがて、かぐや姫は大きくなり、光りまばゆい女性になると、5人の公達が求婚に現れました。かぐや姫は、無理難題をふっかっけ、玉砕してしまいました。今度は、それを伝え聞いた、帝が、モーションをかけ始めました。やがて、かぐや姫と帝は和歌をやり取りする中になりました。
しかし、月からの迎えがやってくる日が近づき、かぐや姫は、涙を流すようになりました。
とうとう迎えがやってきました。迎えは、地球への蔑みの言葉と共に、天の羽衣と不死の薬とを持ってきました。かぐや姫は、「月は、清らかで美しく老いることもなく、心配することもないのです。しかし、月に戻ることがうれしいとは思いません。」
といいます。そして、おじいさんおばあさんには手紙を、帝には、手紙と、不死の薬を使いの者に渡しました。私見はさみますと、なぜ、おじいさんおばあさんに、不死の薬を渡さなかったのかは少々疑問が残ります。そして、地球を穢れたといったと言いますが、清らかな人が、こんなこと言いますかね。
話は戻り、そして、天の羽衣を纏うなり、憂いはなくなり、月へ帰っていきました。
かぐや姫は、月の姫であり、月人は美しく清く、憂いがなく、不死だということです。
日本人の古来の人々が持つ創造力、創作力のすばらしさに、誇らしさを感じる次第でございます。
そして、このような想像力が、西欧には今までなかったのかと思いきや、西暦147年に古代ギリシャ人ルキアノスが、月旅行を書いた「本当の話」や「メカロメニッパス」があるそうです。ギリシャ神話のギリシャですから、あるでしょうね。
浦島太郎と相対性理論
「日本書紀」や「万葉集」に話が残っているということなので、奈良時代あたりでしょうか。カメを助けた浦島は、恩返しに海中の竜宮城に連れて行ってもらいました。
そこで、饗宴をひらいてもらい、飲めや歌えの大騒ぎをした後、お土産に”開けてはならい”と言われた箱を貰います。そして、家に帰って箱を開けてしまいます。すると、浦島太郎の髪は真っ白になり、おじいさんになってしまいました。竜宮城では、ほんの数時間だと思っていたものが、実は何十年もたっていたのでした。
これは、何が起こっていたのかというと、相対性理論で説明できます。
カメが、光の速さで移動していたのです。竜宮城もしかりです。
光りの速さに近づくほど、時間の進みが遅くなるのが相対性理論なのです。
学生時代物理の先生に言われました。年取りたくなかったら、光速の飛行機にずっと乗っとけと。
しかし、この箱。何で、黙って渡したのでしょう。これが、時間を元に戻すカギだったのに。
思わせぶりな箱です。開かないか、開かない鍵がかかってるか、何か違うものでよかったのではないのか?
雑な説明ですが、之もまた、日本人特有の創造力からの物語なのでしょう。
自然崇拝が基本にあり、自然の力、目に見えないものに対して受容することができることから創造の幅が広かったのかもしれません。