Critical thinking

批判的思考

論理的に物事を考える際に必ず必要となる

批判的思考

私が、初めて、批判的思考を経験したのが、中学1年生の時だった。

社会の先生だった。授業自体は覚えていない。

ただ先生のこの言葉だけ、強く印象に残り、実践してきた。

「先生の言うことを信じるな。」

この時から、授業態度が、全くの受動的だったものから、能動的なものへと変わった。

先生からたった今教わったことが、今まで習ったことと矛盾しないのか、記憶を呼び起こし確認する。
少しでも、矛盾が生じたり、腑に落ちないことは徹底的に調べ、多方面から思考する。

これは、慣れれば習慣となり、理解力や思考力を構築し、記憶力向上にも役立った。


これは、世界情勢や政治問題でも同じ。

様々な情報を精査しながら、自分の論理を組み立てていく。

そして、情報は多方面から受け入れる。その時、他者からの反論は、必ず、論理を組み立てるのに必要である。

得てして、自分の意見と異なるものを拒絶する人がいるが、それは、批判的思考ができていないから、その反論の重要性がわかっていないことを示している。

自分で作り上げた論理ではないから、議論ができず、お互いの論理を高めることに貢献するものであるとは思えないのだ。

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反論はなぜ必要か?

反論の中に、自分の見落としている事柄が、往々にして含まれている。

それを、改めて精査して、説得力のあるものであれば、自分の論理を修正し、更に研ぎ澄まされたものへと創り上げていくことができるのだ。

twitterを見ていて、最近驚くことがあった。

有識者と思われる人々が、論理を構築するのではなく、選択したい論理を選択しているのだ。

まずは、事の発端の経緯を、先入観を排除して、情報を精査して、発言足りうる論理を構築す

るが、その前に、報道を鵜呑みにして、そのまま自分の意見として発信していた。

国内問題に関しては、マスコミの偏向報道に怒っていた人も、自分の都合のいい報道であれば疑うことなく、受け入れている。

そして、都合の悪い情報は、デマだと決めつけている。

発言しながら、議論を受け入れ修正していく方法もあるが、全く聞く耳を持たないのだ。

研究者でもある大学教授や、洞察力を要する小説家、そして論述に長けていると思われていた政党政治家たちが、まさに、反論を拒絶し、ともすれば、罵り、蔑み、ただ自分の信じた論理を声高に繰り返すのみなのだ。

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この批判的思考や、その結果得られる論理的思考がなぜ必要か?

それは、結果的にその人の軸となり、真理に近づき、成長を促すものだからではないでしょうか。

学校での勉強を例に出しましたが、それは、単なる道具です。

好奇心が、その思考を育てるのに有効であり、要は、その対象となるものであれば、なんでもいいのです。

本田宗一郎や、松下幸之助は、高度経済成長をけん引した経営者であり、技術者でしたが、彼らの学校教育は、小学校、中学校までで終わっています。

高教育を否定するものではなく、その期間に、すべて受動的な勉強に費やされると、批判的思考から論理的思考を創りだす機会が奪われ、ともすれば、それらの思考力が、他者よりも劣ることがあるということです

同僚にそういう人たちが、少なくなく存在していました。

特に、博士に顕著でした。

日本は、古来より、特に中国から学び吸収してきました。

そして、日本もまた、文化、芸術、科学技術において、世界に影響を与えてきました。

そして、今、日本の社会システムは、劣化してしまいました。

互いを尊重しあう関係ではなく、無駄な競争を強いることで、真の攻撃対象から視点をそらすことに成功し、格差を生み出し、国民の労働対価は、正当に支払われず、利益は、強い者たち
に集まる仕組を作ることに成功しています。

この成功もまた、結局は、受動的思考に起因しているものではないでしょうか。

日本という国がなくなる前に、個々が、この批判的思考に向き合うべきではないでしょうか。

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