マイノリティーとして生き抜くには

学生時代は経験しなかったマイノリティーであるが故の差別
社会人になって随分悩んだ。
自分の何が悪いんだろう
もっと優秀なら差別されなかったのだろうか
はたまた、女性としてもっと魅力的だったら認めてもらえたのか

まあ、男どもの思うつぼでした。まんまと、自己肯定感を下げていきましたので。

結論は二つ。

好きなことを徹底的にやる。そのために遠慮はしない。
環境を見る。社員に期待し大事にする職場は期待できる。

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社会人になって受けた差別

大企業に、本社採用専門職として入社しました。配属先では、本社採用としては初めての女性社員でした。

配属されてすぐ、差別を決行したのが、何と連合組合。毎月少なくない組合費を払っているのにです。金返せです。

上司に、研究者としては認めないといいました。この上司である課長もずるい人で、後々、色々やらかしてくれるのですが、この時も反論することなく黙って帰ってきました。そして、”研究補助やて”と一言私にいいました。研究補助職は一般職。専門職ではないのです。
研究者として認めさせるには成果を出すしかありませんでした。そして、その課長に、”研究テーマ下さい”というと、何と、入社3か月の社員の私に”自分の仕事くらい自分で探してこい”とブチ切れたのです。

仕方なく、必死で自分でテーマを探しました。そして見つけたテーマ。面白い結晶を見つけたのです。そして、その後、そのテーマをその課長に取られました。彼はそれで、博士号を取得。まあ、くずでした。

この後、人事介入できる組合によって、昇格も阻まれました。

組合だけではなく、研究所の他のグループの男性社員からも差別を受けました、心無い言葉を浴びせる人もいました。ここで5年間差別を受け続けます。私の研究成果も、上司や後輩にまで搾取されました。搾取というか、後輩は、博士号を持っていましたが、全く仕事ができなかったのです。しかし、口はうまい。私は、次第に本当に補助のように扱われていたのです。
しかし、実際は補助ではなく、彼の研究も私がしていたのです。次第に、彼を可愛がっていた部長は、私に彼の仕事を”やってあげなさい”と指示するようになっていました。そして、人前では、仕事ができないのは私の方だと雰囲気で作っていきます。実験が好きなので、それでも、プロジェクトが進むならと人のいい考えが足元を見られていたのかもしれません。しかし、プロジェクトが進むわけがないのです。彼らは、何も進ませることができないのですから。

そんな中、次第に、その屈辱に耐えられなくなり、自己肯定感は下がっていました。自分の何が悪いのかと。私が博士号を持っていればこんな思いをせずにすんだのか?もっと、有能なら、認めざるを得ない状況は作れたのか?もっと魅力的な女性だったらよかったのか?とか、ぐるぐる頭の中が回っていました。

転勤で何が起こったか

転勤の辞令がおりました。普通は、研究者は殆ど職場は変わりません。しかし、不況のせいで、人の異動が活発になっていました。私の初めの職場は、誰も配属希望を出さないような職場でした。私自身は、大学からの推薦で入社したのですが、その際、教授が間違って、事前にそこの研究所の見学に行ったことから、配属されてしまっていました。実は、次の職場こそが、第一希望だったのです。しかし、就職活動時に不況のため、採用ゼロという回答でした。念願の職場への異動でした。

研究所内で驚くことが起きていました。今まで話もしたことがなかった他グループの課長が、”あんたが、そんなとこ行けるわけない”と怒鳴りつけてきたのです。彼は、転勤で、異動してきた人でした。余程、異動で来たことが屈辱だったのかもしれませんが、人間としてどうなの?というレベルです。今まで、差別してきた人は、口をつぐんでしまいました。そして、素直な人の中には、羨望の目で見てくる人もいました。

次の職場は、エリート職場でした。研究者の大学や学歴は、一流ぞろいでした。実績のある人や自信のある人は差別をしません。しかし、中には、学歴は最高レベルでも、仕事ができないと差別をしてきます。

この職場は、前と異なり、上司のお陰で、研究者として評価され、やっと人並みになれた心地でした。ここにも、いろんな人はいました。しかし、ましにはなりました。前の職場は社員がコンプレックスの塊だったのです。望まない職場に配属され、それに彼らもまた学歴差別を感じていたのかもしれません。彼らとて、十分に一流の学歴だったのですが、更に上がいるのです。マイノリティーである私が、自分たちと同じもしくはそれ以上になることはまかりならんという事だったのでしょう。そんな人たちの相手をするのは、無駄な時間だった。

差別は減り、上司のお陰で多くの機会、経験を得ましたが、社内の閉塞感は日本の成長鈍化に同期しているようでした。申し分のない優秀な学歴でも、仕事ができるわけではありませんでした。尊敬できる研究者に会える機会が多いだろうと、大企業を選択しましたが、一人も会うことはありませんでした。成果の搾取や、優秀な男性管理職の左遷、窓際を見ました。結局、退職しましたが、転職してもどこも似たようなものでした。

因みに、初めの職場の後輩である博士は、工場に出向になっていました。研究所よりも、機敏な問題解決能力が要求される職場で何ができるでしょう?まあ、もういいんですけどね。

ノーベル賞の裏にも女性差別


ノーベル賞DNAらせん構造発見者たちの嘘 」に書いた女性研究者であるフランクリンもまた
女性差別の被害者でした。DNAらせん構造発見の決定的データである「Photo51」は、
彼女のものであり、このX線回折の解析結果も彼女の成果なのです。
それが、受賞者の一人であるウィルキンスにより盗まれ、受賞者の手に渡りました。
あと数か月もあれば、彼女が一人で発見したものだったという人もいます。
彼女は、ウィルキンスと同じ研究室所属でしたが、彼女を対等な研究者としてみなしたくなく、
一説には、”補助”として認識していたと書かれたものもあります。
彼女は、彼よりもはるかに優秀だったのにです。
これだけ優秀でも差別されるのです。これは、明らかな妬みのようです。

マイノリティーとして生き抜くことに成功した人達

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高校時代のあまり好意を持っていなかった同級生

何となく苦手な女性でした。しかし、絵も上手で、なぜ苦手だったのかあまり思い出せないのですが。彼女は、生物系の学科に進みました。そして、中堅の企業へ。そこで、何と、社長と飲み友達になったとか。学生時代は、男性とよく飲みに行ってもてたという話も聞いたことがありましたが、彼女の容姿や雰囲気から、信じてはいませんでした。しかし、何かあるのかもしれません、彼女の魅力が。社長とは変な関係ではない筈。飲み友達になった社長に頼んで、自分の望む仕事ができるようになったと聞きました。

ここから学んだのは、コミュニケーションの重要性です。会社では、誰とでも話しますが、仕事を引けて飲みに行くことは、ありませんでした。それを無理にやる必要があるかどうかは別にして、彼女の方法も一理あると思っています。彼女の社長への要求は、恐らく会社にもメリットのあることだったのでしょうし。

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台湾人の男性社員

マイノリティーと言えば、女性に限らず、外国人も含まれるでしょう。彼は、子会社の社員で研究所に出向してきていました。正社員の女性社員である私は差別しても、子会社の彼は差別されていませんでした。一つは、子会社ということもあったかもしれません。私が入社する前に、女性研究者がいたようです。彼女は、事業部採用で本社採用ではなったのです。特別、差別されてもいなかったのではないでしょうか。スタートが同じではないので、男性社員は気にしなかったのでしょう。もう一つは、彼は、自己プロデュース力がありました。雰囲気が頭が良さそうなのです。信頼でき、まさに凛々しい感じでした。この雰囲気を意識して作っていたかどうかはわかりません。私が言う、プロデュース力は、学歴です。三流大学で好成績を集め、米国大学院奨学金留学していました。留学で必要なのは、大学名ではなく成績。お見事なのです。ただ、話をしていて、研究をするための洞察力には欠けているなという印象でした。見た目とは異なっていました。

ここから学んだのは、自己プロデュースの効果を実感しました。私は、例え成績が良くても、”あほやと思ってた。”といわれたことがありました、中学3年でです。人から信頼される雰囲気も影響受けるのかもしれないと感じた次第でした。そして、目的は、必ずしも、ストレートでなくていいのだと。目的のためには、いくつかの手段があるのだと驚きました。一流大学に行く人が留学するのだと思っていたので。彼にとって就職もそのプロデュースの範囲だったのかと疑問は残りましたが。目標を掲げて諦める必要はなく、可能な手段を選択し、必ず目標を達成するという意思の大切さを学びました。

大学の先輩

大学からは、大抵の生徒が推薦で就職を決めていました。しかし、先輩は大学院を出て推薦のない企業の研究所への就職を果たしていました。その研究所は、何やら高度な基礎研究をしているところ。TVで見たのですが、かなり優秀な人が集まっているようでした。会社では、優秀だったようで、次の年から大学に推薦が来るようになりました。

先輩は、どこで何がしたいかが明確でした。失礼ながら、優秀だったという話は聞いていなかった記憶。

結論として、これが理想の形。差別されたことで自分の責任を問うていました。差別されることにされる側の責任などはありません。ただ、一つ、どこで何をしたいかという、就職活動において必要な思いが完全にかけていました。曖昧なまま就職してしまいました。そして、何より、先輩が選んだ職場は、優秀な人が尊重される環境でした。会社の社員への期待が現れていました。

まとめ

新卒のころ、女性が、活躍できるかは、上司次第と言われていました。確かに、異動で環境や上司が変わるのを待つのも一つです。しかし、組織でいじめていた場合は、所詮、会社の体質に問題があるのです。

就活の原点ですが、何をやりたいのかを明確にし、会社を見る、環境を見るというのが大事という結論でしょう。社員に期待し大事にする職場は、女性の働きやすさについても、期待できるように思います。































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